設立趣意

一、ご祭神

戊辰の役以降国難に殉ぜられた兵庫県西部地域(十六市七郡)出身の護国の英霊五六、九八八柱命

二、沿革

明治二十六年五月より現鎮座地付近にて、招魂祭が執行されてきましたが、殉国の英霊に常時崇敬報謝の誠を捧げ、ご遺徳を永く追憶しなければならないとの気運が興り、県下各種団体、各市町村有志が発起して「兵庫縣招魂社」造営奉賛会を組織し、兵庫県知事が会長に就任し、県民挙げてこれに奉賛しました。

昭和十一年六月十三日、内務大臣の創立許可を得て、姫路白鷺城の麓二,三三二坪の地を卜し、昭和十三年四月二十七日竣工、同二十八日新殿祭、同二十九日神霊奉鎮の祭儀が執行されました。

昭和十四年三月十五日付、内務省令第十二号に基づき、昭和十四年四月一日、「招魂社」を「護國神社」に改称されました。

終戦後、昭和二十一年八月二十八日、神社の維持継承をはかるため、社名を「白鷺宮」と改称して危機的状況を脱し、サンフランシスコ講和条約発効後、昭和二十九年五月二十日、再び「護国神社」と復称しました。

昭和四十三年、ご創建三十年記念事業、護國神社会館竣工、境内整備事業実施、昭和六十三年、ご創建五十年記念大祭、平成二年、ご創建五十年記念本殿以下お屋根替等修復及び境内全面整備事業実施。平成二十年、御創祀百十五年御鎮座七十年記念大祭斎行併せて境内施設整備(会館改修・休憩所、便所新設)事業実施。  昭和三十五年、昭和四十年、昭和四十五年、昭和五十年、昭和五十五年、昭和六十年、平成六年、平成十七年、平成十八年、天皇皇后両陛下より幣帛料及び幣饌料を賜りました。

三、崇敬奉賛会設立趣意書

当兵庫縣姫路護國神社は、近代国家建設の途上に遭遇した幾多の戦争で尊い生命を国に捧げられた兵庫縣西部地域の五六、九八八柱の「ご英霊(みたま)」をお祀り申し上げ、国家の安泰と国民の安寧へのご加護を祈り、悠久の平和を祈願する神社として、県民の皆様からも厚い崇敬を受けてまいりました

しかしながら、戦後約六十五年を経た今日、世情は著しく変容し、これまで当神社を支えてきたご遺族、戦友の方々などの高齢化に伴い、今後神社参拝者の減少が予測されています

悠久の神社護持の前途に懸念の兆しが窺え、さらに、戦後世代の戦没者英霊に対する崇敬の意識は希薄であり、散華された英霊の御心を思えば憂慮を禁じえません

現在、わが国は英霊の尊い犠牲とご加護の上に、今日の平和と繁栄が築かれていることに思いを致しますとき、英霊のご遺徳を子々孫々に至るまで変わることなく顕彰し、伝えていくことこそが太平の世に生きている国民の負うべき使命であると痛感します。また、今日の荒廃した精神状況に対しても、英霊の克己・献身の事蹟とその精神を知らしめることが、生命の尊厳への認識と、父祖の世代への感謝の心を醸成し、我が国の伝統的道義・道徳心を取り戻す教育的役割を果すものであると確信致します。

つきましては、趣旨にご理解を賜り、英霊の遺徳を語り継ぎ、永遠に祭祀を厳修すべく、皆様の「崇敬奉賛会」へのご協力をお願い申し上げます。

現今の社会情勢は非常に厳しいものがありますが、何卒格別のご理解をいただきたく、お願い申し上げます。

平成二十二年 四月 吉日
兵庫縣姫路護國神社宮司 泉和慶
兵庫縣姫路護國神社崇敬奉賛会会長 三宅知行